整体の仕事をしている一方で、私にとって音楽は昔から大切な存在です。このカテゴリーでは、施術を少し離れて、心に残った音楽や本、映画について書いています。
ザ・アンダートーンズの『Teenage Kicks』を、「10代の青い初期衝動」なんて言葉で括ってしまうのは、やっぱり少しもったいない気がする。
たった3分ちょっとの爆音。
ここに鳴っているのは「若さ」そのものというより、
世界や他者に対する、不器用で、だけどどこまでもフラットな距離感だ。
何年かおきに、中学校からの友人たちと会う。
子どもがいたり、いなかったり。
結婚していたり、していなかったり。
再婚していたり。
アラフィフにもなれば、みんなそれぞれの人生をちゃんと生きている。
だけど、集まると全員当時のまんま何も変わっちゃいない。
「懐かしいね」なんて湿っぽいノスタルジーもない。
クラブへ繰り出し、朝まで遊んでいた頃の温度のまま、また朝までバカ騒ぎをする。
妙なものだ。
普段はそれぞれが、それぞれのアラフィフKicksを抱えて生きている。
でも、そんなことは誰も話さない。
「今どうよ?」
その一言で十分なのだ。
世界と僕は、縮まりもしないし、遠ざかりもしない。
あの友人たちとの距離も、ずっとそんな感じだ。
お互いの人生を詮索するでもなく、過去を懐かしむでもない。
ただ「今」の温度のまま集まって、笑って、朝まで遊ぶ。
10代の頃の『Teenage Kicks』を経て、それぞれが違う靴を履いてアラフィフになった。
10代の頃の衝動は、歳をとると消えてしまうものだと思っていたがたぶんそうじゃない。
誰かに恋をして眠れなくなるような衝動はない。何かをぶっ壊したいみたいな衝動も全くない。
その代わりに、大切な友人と朝まで笑っていたいとか、いい音楽を聴いて心が震えるとか、自分らしく生きたいとか。衝動の向かう先は少し変わっても、「何かに突き動かされる感じ」そのものは、案外ずっと変わらずに残っている。
だから僕たちは、10代の『Teenage Kicks』を過ぎても、それぞれの「アラフィフKicks」を鳴らしながら生きているのだと思う。
けれど、あの爆音ギターが鳴るとき、そしてあいつらと朝まで笑っているとき、僕たちは過去を振り返っているわけじゃない。
それぞれのアラフィフKicksを抱えたまま、ただ「今」という時間を、相変わらずの距離感で踏みしめているだけなのだ。
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