2011年12月30日の夜.
僕はどこかの街の家電量販店にいた。
そこが東京のどこだったのか、渋谷、新宿、それとも実家の近くの店だったのか、今となっては思い出せない。
あの日以来、どこかそわそわと落ち着かない日々を過ごしていたように思う。
あの日、電車は止まり、僕は職場から5時間ぐらいかけて歩いて帰った。
同じように歩いて帰る人たちは、誰とも干渉せず、ただ黙々と歩いていた。
電話もつながらない。誰とも話さない。
そんな中、携帯電話が鳴った。
奇跡的につながったのは、普段から仲良くしていた取引先の担当者だった。会社を辞めた後も付き合いの続く、大切な友人の一人だ。
何を話したのかは覚えていない。
ただ、その声を聞いたとき、少しだけ現実が戻ってきたような気がした。
そんな彼も、先日結婚した。おめでとう。
その後の僕は、
明日はどうなるんだろう。
原発は?
答えの出ない不安を抱えたまま、それでも僕の周りの日常は何事もなかったような振りをして過ぎていく。
知り合いで関東から西へ避難した人もいた。
街には様々な情報や言葉が溢れ、誰もが少しだけ浮き足立っていたように思う。
そんな年の瀬、細野晴臣がレコード大賞に出演することは知っていて出演する時間も分かっていた。
どこにいたのかは、何の用事があったのか思い出せないがその時間に家電量販店のテレビで観ようと思ったのだ。
店内には何台ものテレビが並び、年末特有のざわめきと白い照明が売り場を満たしていた。
その中で流れ始めたのが、チャップリンの名曲『Smile』だった。
あの年、街には無数の言葉が溢れていたように思う。
励ましの言葉
後悔の言葉
誰かを責める言葉
けれど、あの頃の僕たちが本当に必要としていたのは、そんな大げさ言葉ではなかったのだと思う。
画面の向こうでオーケストラと、低く穏やかな声。
無理に前を向かせようとするわけでもなく、悲しみを忘れさせようとするわけでもない。
ただ、そこに静かに在る。
僕には、それが「祈り」に聴こえたのだ。
あの夜、何台ものテレビの中から流れてきた『Smile』の前で立ち止まっていたことだけは、不思議なくらい鮮明に覚えている。
あの演奏は、答えをくれたわけではない。
不安を消してくれたわけでもない。
それでも、ぼんやりと薄い影が日常に差したままのあの年の時間の中で、「今日を生きよう」と思える小さな光を、静かに灯してくれたのである。

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