僕がカンボジアを訪れたのは、1996年頃のことだ。
プノンペンの安宿には、世界中から個人旅行者たちが集まっていた。
日本人も多かった。
ベテランバックパッカーというのか、日本にうまく馴染めなかったような雰囲気のおっさんもたくさんいた。
「アンコールワット行くの? あんなの、行ったことにしときゃいいんだよ」
メチャクチャなことを言いながら、昼間からビールを飲んでいた。
その言葉の真意は、今でもよく分からないが、あの人なりに世界と折り合いをつけようとしていたのだろう。
当時のカンボジアは、
「クメール・ルージュの残党がまだ潜んでいるから、アンコールへ行くなら気をつけろ」
「地雷が埋まっているから、道から大きく外れるな」
飛び交うのは、そんな物騒な話と警告ばかりだった。
安宿の壁には、MISSINNG!と行方不明者を探すポスターが何枚も貼られていて、それもまた当時の東南アジアやインドの日常の風景だった。
デッド・ケネディーズの『Holiday in Cambodia』を知った時、まさか自分が本当にカンボジアを訪れる日が来るとは思ってもいなかった。
当時の僕にとって、この曲はただ猛烈に過激なパンクだった。しかし、1996年のあの赤土の匂いの中に立った時、レコードの向こう側にあった世界は、遠い物語ではなくなった。
アンコール遺跡群の中でも、バイヨンは圧倒的だった。
無数の巨大な石の顔に囲まれ、僕は確かに「宇宙の中心」にいた。
時が止まったかのような静寂と、言葉では言い表せない何かがそこにはあった。
けれど、一歩遺跡の外へ出ると、生々しい現実が待っている。
物売りの女の子たちは、屈託のない笑顔で1ダラーとポストカードを差し出してくる。
その一方で、周囲を見渡すと若い男性や男の子の姿は驚くほど少ない。
虐殺や強制労働、そして長く続いた内戦。
その傷痕は教科書の中ではなく、人々の暮らしや街の景色の中に静かに残っていたのだ。
美しさと傷痕は、同じ場所に存在していた。
プノンペンでは、トゥール・スレンにも足を運んだ。
バイクタクシーのおっちゃんは、笑顔のままトゥール・スレンまでバイクを飛ばす。
プノンペンで知り合った日本人と二人で館内を回ったが、ほとんど言葉を交わせなかった。
あの場所では、何を話しても軽くなってしまう。軽さが悪いわけではないがあまりにもリアルだったのだ。
あの時、一緒に歩いた彼は、今も元気にしているだろうか。
名前も覚えている。もう一度会ってあの時のことを話してみたいきもする。
旅をしても、たいして変わらない。
それでも旅は、何かを気づかせてくれる。
その「何か」を、僕は今でもうまく言葉にできない。
それ以来、『Holiday in Cambodia』を聴くと思い出すのは、曲の過激さではない。
あの土の匂いと、バイヨンの静けさ。
そして、レコードの向こう側にも、人がいて暮らしがあるという、ごく当たり前のことだ。
その人たちは、歴史の中ではなく、今日を生きていた。
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