『Road To Nowhere』僕とあの子とデヴィッド・バーン

整体の仕事をしている一方で、私にとって音楽は昔から大切な存在です。このカテゴリーでは、施術を少し離れて、心に残った音楽や本、映画について書いています。

10年以上前、デヴィッド・バーンの来日公演を観た。

自分の中でも五本の指に入るほど、素晴らしいライブだった。 その頃の僕は、音楽に関わる仕事をしていたこともあり、いつの間にか音楽を頭で理解しようとする癖がついていたように思う。

「この曲は何がすごいのか」 「なぜこの音が必要なのか」 そんなことを考えながら聴いていた。

もちろん、それも音楽の楽しみ方のひとつである。

あの日すぐ近くで踊っていた若い子の言葉が今でも印象に残っている。

「曲わかんねーけど最高!!」

僕は軽い脳震盪を起こしそうななほど衝撃をくらったのだ。
そう音楽ってそもそもそうやって聞くもんだよね。曲名もアーティストも名前なんてただの記号で踊れるか踊れないかなのだ。

どうやらあの子の方がデヴィッド・バーンを正しく受け取っていたようだ。

デヴィッド・バーンは、観客に「理解して楽しめ」とは言わない。

気づいた時には、もう彼が作った奇妙なパレードの中に巻き込まれている。

その感覚を象徴する曲が、トーキング・ヘッズの『Road to Nowhere』なのだ。

タイトルを直訳すれば「どこにも通じていない道」。

行き止まり。

普通に考えれば、あまりにもなタイトルだ。 だが、この曲は呆れるほど陽気でポップに鳴り響く。

冒頭、まるで天国から聞こえてくるような荘厳で美しいアカペラ。 一転して楽しげなアコーディオンとマーチングのリズム。

そしてデヴィッド・バーンは、ニコニコと笑顔でパレードの先頭を歩き始める。
「どこへ向かうのかなんて気にしない。どうせ、どこにも辿り着かないんだから」 冷静に考えれば、かなり奇妙な光景に見える。

どこにも行けない道を、楽しそうに進み 目的地のない旅を、まるで祝福しているかのようだ。 でも、この曲を聴いていると不思議と怖さは感じない。

「ああ、なんかこのまま踊っていて大丈夫そうだな」 そんな妙な安心感が湧いてくる。 デヴィッド・バーンという人は、人間社会を少し離れた場所から眺めているような、不思議な人だと思う。

世の中が用意したルールや、「こうあるべき」というゴールに、どこか馴染めていない気がする。

でも、その違和感や孤独を暗い場所に閉じ込めたりはしていない。

「ゴールなんて最初から本当にあるのかな」 「だったら、みんなで楽しく歩こうよ」 そう言うかのように、人生の不安や不条理さえも、軽やかなステップに変えてしまう。

あの日のあの子も、きっと勝手にパレードへ参加させられていたのだ。

曲を知らなくても、意味なんて分からなくても、気がついたら、デヴィッド・バーンが作った不思議な世界の中で踊っていた。

目標に向かって正しく進むことを求められる世界の中で、僕たちはいつも不安になる。 「この道で合っているのだろうか」 「自分はどこへ向かっているのだろうか」 でも、彼らの鳴らすマーチに乗って歩いていると、ふと思う。

もしかしたら、人生という道は、最初から決められた目的地へ向かうものではないのかもしれない。

この「どこにも通じていない道」を歩くこと自体が、

人生なのだとしたら…

その先にあるものを「あの世」と呼ぶのなら。

やっぱり、そんなに怖くない。 そこは誰もが最後に向かう場所。 きっと、悪い場所ではないのだと思っている。

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