90年代、僕はよく旅をしていた。
あの頃、旅行中に音楽を聴きたくなったらCDウォークマンだった。バンコクのカオサン・ストリートでCDを買い、カンボジア行きのチケットを手配する。海賊版のCDが並び、まだカセットも売られていたように思う。『地球の歩き方』にカンボジア編があったのかどうかは、今となっては覚えていない。
宿の名前だけを覚えてプノンペンに向かう。キャピトル。
それだけが知っていた情報だ。
それまでにも何度か旅をしていて、海外にもある程度は慣れていた。それでも初めての場所は緊張する。プノンペンに着いた僕は、タクシーのおっちゃんに「キャピトル」と告げた。
チェックインを済ませた僕は、1階にある食堂でビールを飲んでいた。すると「日本人?」と声をかけられた。
そいつは大学を卒業したあと、一年くらいかけて旅をしているところだった。浜松から来たと言っていた。
それから僕たちは一緒に飯を食い、ビールを飲み、カンボジアを旅することになる。結局、一か月ほど行動を共にした。
何十年ぶりに会って、「あの時どうだった?」「今どう?」なんて話をしてみたい気もする。
あの頃の僕は、世界を知ろうとか、何か目的があって旅をしていたわけではない。今思えば、ただの逃避だったのかもしれない。何かよくわからない現実や社会から、少し距離を置きたかったのだ。
旅先に行けば、しばらくはそこから離れられる。でも、旅先だっていつか日常になる。そこにも人がいて、仕事があって、暮らしがあって、社会がある。
結局、どこへ行っても現実は現実だった。
カンボジアはまだ復興の途中だった。重い歴史を抱えていた。トゥールスレンやキリング・フィールドを訪れれば、その現実を突きつけられる。
それでも街には人がいた。バイクが走り、店があり、飯を食い、笑っている。重い歴史も、そこで暮らす人たちの日常も、同じ街の中にあった。
そして、カンボジアにはなぜかスティービー・ワンダーの声がよく馴染んだ。
透明感がある。それでいてエネルギーがある。ソウルがある。
その中でもよく聴いていたのが、言わずと知れた超名盤『Talking Book』の一曲目、「You Are the Sunshine of My Life」だった。
街を歩いているときは音楽なんて聴かない。バイクの音や、誰かの話し声、店から流れてくる音楽。旅先では、その街にある音を聴いていた。
CDウォークマンで音楽を聴くのは、宿に戻ったときや、移動の途中だった。
だからなのか、あの頃聴いていた音楽は、その場所の記憶と一緒になっている。
「You Are the Sunshine of My Life」を聴くと、今でもあの頃のカンボジアを思い出す。
旅をしている間、現実から完全に逃げられたわけではなかった。どこへ行っても社会があり、いつかそこも日常になる。いつまでも縮まらない距離を、離れたところから眺めていても仕方がない。そんなことを思うようになった。
でも、現実がすべてというわけでもない。
カンボジアには重い歴史があった。それでも、そこには笑顔があり、エネルギーがあり、ソウルがあった。
スティービー・ワンダーの声が、なぜあんなにも馴染んだのか。
今なら少しわかる気がする。
あの頃の僕にとって、「You」は誰だったのだろう。
誰か一人だったのかもしれない。カンボジアだったのかもしれない。
いや、あの時初めて触れた、世界そのものだったのかもしれない。
現実は現実としてある。社会は社会として向き合わなければならない。
You are the sunshine of my life.
僕の人生にも。
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