整体の仕事をしている一方で、私にとって音楽は昔から大切な存在です。このカテゴリーでは、施術を少し離れて、心に残った音楽や本、映画について書いています。
この曲は、僕が生まれる少し前に岡林信康によって生みだされた。
もちろんリアルタイムで知っていたわけではない。
何がきっかけで出会ったのかも、もう忘れてしまった。たぶん中学生くらいだったと思う。ひょっとしたらもっと大人になってからだったのか…
あの異常なまでの熱量は、あの時代だからこそ生まれたものなのだろう。70年安保や学生運動の熱狂の中、社会全体が沸騰していた。あの叫びは、そんな時代の空気が産み落としたものに違いない。
けれど、リアルタイムを知らない僕が中学生の頃?に偶然出会い、大人になった今聴いても、この曲はやっぱり胸を強く揺さぶる。
それはきっと、時代や社会の形が変わろうとも、人はいつの時代も息苦しさや生きづらさを抱えて生きているからだ。
世界の理不尽や生きづらさは、誰か分かりやすい悪者がいて生まれるものばかりじゃない。
誰のせいでもないし、ましてや真面目に生きている僕たちが悪いわけでもない。
けれど、誰のせいでもなく、自分が悪いわけでもないその重さを、最後には自分自身で引き受けなければならない現実がある。
岡林信康が歌った「私たちの望むもの」は、政治的な要求でも、世の中を論破するための言葉でもなかった。
苦しみを抱えながら、それでも生きようとする人間の歌だったのだと思う。
「フォークの神様」と呼ばれ、若者の教祖のように祭り上げられた岡林自身もまた、その重圧から逃げるように山へ入り、自分の生き方を探した。
彼もまた、誰よりもその「どうしようもない重さ」を抱えていた一人だったのだろう。
理由も忘れてしまった中学生の頃から、この曲はずっと自分の中に残り続けている。そして歳を重ねるたびに、その理由が少しずつ分かってくる気がする。
勝ち組になるとか、苦しみをスマートに乗り越えるとか、そんな器用な生き方はできなくてもいい。
誰のせいにもできず、自分のせいにもできず、それでも手探りで今日を生きようとすること。
岡林が歌った「私たちの望むもの」は、その姿を静かに肯定してくれる。
そして、今を生きる僕たちと世界の境界線を、ほんの少しだけ薄くしてくれるのだ。
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