
「頭蓋仙骨療法って自分にもできますか?」
こんなお問合せを頂くことがあります。
正直に言えば、簡単でもあり簡単ではありません。
いろいろな手技を習ってきた方が、頭蓋仙骨療法を体験すると、「ここまで繊細なものは初めてです」と言われることがあります。
強く押すわけでもありません。身体を大きく動かすわけでもありません。それなのに、相手の身体の小さな変化を感じ取っていく必要があります。
技術を覚えるだけではない
どこに触れるのか。どのくらいの力で触れるのか。どんな姿勢で触れるのか。相手の身体にどんな反応が起きているのか。
こうしたことは、もちろん学ぶ必要があります。
実際に人の身体に触れ、繰り返し練習していくことでしか分からないこともたくさんあります。
でも、長く施術をしていると、それだけではないと思うようになりました。
技術も大事。
でも、それと同じくらい、いや、それ以上に大切なのは「在り方」なのではないかと思っています。
「何とかしてやろう」が邪魔をする
施術をしていると、「何とかしてやろう」という気持ちが出てくることがあります。
肩が張っているから緩めてあげよう。腰が痛いから何とかしてあげよう。ここが硬いから動かしてあげよう。
相手に良くなってほしいと思うこと自体は、決して悪いことではありません。
でも、その気持ちが強くなりすぎると、いつの間にか施術者のエゴになってしまいます。
「自分が治してやろう」
「自分の技術で変えてやろう」
そんな気持ちで身体に向き合うと、相手の身体を見る前に、自分の答えを押しつけてしまうことがあります。
そして、そのエゴが施術の邪魔をする。
だから私は、できるだけ淡々と目の前の身体と向き合い、その反応を伺うようにしています。
鼻息荒く打席に立つと空振りしませんか
おじさんあるあるで、野球に例えると、
「俺が打ってやる!」
そんなふうに鼻息荒く打席に立って、力んでいたら、空振りしますよね(笑)。
施術も同じです。
「今日は絶対にここを緩めてやろう」「この人を何とかしてあげよう」と力が入りすぎると、かえって相手の身体の変化が見えなくなることがあります。
何かを起こそうとするのではなく、まず相手の身体を感じる。
反応があれば、それを受け取る。
何も起きなければ、それも受け止める。
こちらの都合で身体を動かそうとせず、淡々と向き合う。
これが、言葉で言うほど簡単ではありません。
自分の身体も練習台になる
そのためには、まず自分自身の身体を感じられることも大切です。
自分が緊張している時はどうなるのか。力が抜けるとどう感じるのか。呼吸はどう変わるのか。
自分の身体が分からなければ、相手の身体の変化にも気づきにくい。
私は整体を続けながら、アレキサンダーテクニーク、フェルデンクライスメソッドなど、身体の使い方や身体感覚についても学んできました。
どれも頭蓋仙骨療法そのものではありませんが、人の身体に触れる時の自分の身体の使い方や、身体を感じるということにつながっています。
触れて、感じて、待つ
頭蓋仙骨療法を学ぶと、最初は「もっと感じたい」「もっと上手くなりたい」と思うかもしれません。
もちろん、それも大切です。
でも、上手くやろうとするほど、自分の力が入ってしまうことがあります。
だからこそ、触れて、感じて、待つ。
身体に何かをしてあげるのではなく、身体に起きていることを感じながら、その変化を邪魔しない。
そのためには、施術者自身が少し後ろに下がる必要があります。
自分の技術を見せるのではなく、目の前の人の身体を見る。
「こうなるはず」という思い込みを少し横に置いて、その時、その瞬間の身体と向き合う。
私は、それが頭蓋仙骨療法を学んでいく上で、とても大切なことだと思っています。
技術と在り方
頭蓋仙骨療法は、技術ももちろん大切です。
触れ方を学び、身体について学び、何度も練習する。
でも、技術を身につければ、それで終わりではありません。
その技術を使う自分自身が、どんな状態で相手に向き合っているのか。
そこも大切なのだと思います。
「何とかしてやろう」という気持ちが、自分の中にあることに気づく。
まずは、それだけでもいいのではないでしょうか。
エゴを完全になくすなんて、なかなかできません。
私自身もまだまだです。
でも、「今、何とかしてやろうとしているな」と気づくことができれば、少し力を抜くことができます。
淡々と向き合い、相手の身体の反応を伺う。
鼻息荒く打席に立たない(笑)。
技術を磨くことも大切。
でも、その前に自分がどう在るのか。
頭蓋仙骨療法を学ぶということは、もしかすると、施術の技術だけではなく、自分自身の在り方を学んでいくことなのかもしれません。
まずは、自分の中にある「何とかしてやろう」に気づく。
それだけでも、よきかな、よきかな。

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